>牧村健一郎

> 1944(昭和19)年初夏、3人の男が松代で周囲の山を見つめていた。みな背広姿だったが、リーダーの井田正孝少佐らは陸軍中央の中堅将校。南の島を次々に失い、東京空襲が現実化した時期だった。陸軍は大本営、省庁、放送局(NHK)、宮城(皇居)の大規模移転を計画し、井田らは極秘で候補地を探していた。 上高地や塩尻などを視察したあと、松代にやってきた。ここは三方が山に囲まれ、岩盤が固い。海岸線からも遠く、要害の地だ。信州は神州に通じる。井田は移転先はここが最適、と確信した。本土決戦の最後の拠点である。 44年11月11日、工事が一斉に始まった。 。。。 多くの日本人の若者は戦場に行っていたため、工事は日本本土や朝鮮半島から集められた朝鮮人が中心だった。最多時で4千人前後の朝鮮人労働者が働いたといわれる。壕の壁に残るハングル文字は、その名残だ。